【不登校体験談】私、不登校でした…!学校へ行きたいけど行けない! | 子どもを上機嫌にするテクニック

子どもを上機嫌にするテクニック

☆イライラ・ストレスの解消法☆

【不登校体験談】私、不登校でした…!学校へ行きたいけど行けない!

今、私は大人になりました。稲穂が育つこの初秋、9月になると思い出します。私は夏休みが明けるこの9月に不登校になりました。

 

私と母親はとても仲の良い友達のような親子でした。母親とはショッピングに出かけたり映画館へ行ったりと親子関係は良好でした。中学生になるまでは…。

 

これは私が中学生の頃、母親に言われた言葉が原因で不登校になってしまった体験談です。

 

「学校の部活動は途中で辞めると内申点に響くから三年間続けられる部活動にしないとね。」

 

この言葉は私の頭の片隅にしっかりと刻み込まれた言葉となりました。母親の何気ないこの言葉が、後に私が不登校となってしまった原因となってしまったように感じています。

 

もちろんこの言葉自体は少しも悪くありません。当然のことを言ったまでです。しかし、私のように意思を伝えること、自分を表現できない人間にとって、この言葉は、そうあるべき、そうでなければならないという他に選択肢がないように捉えてしまいがんじがらめにしたのでした。

 

不登校の原因は母親の言葉?

 

私は小学生のときは友達もたくさんいたし、学校も大好きなごく普通の子どもだったと思っています。母親から言われた言葉に自分も納得していました。なのでその時は何の違和感も覚えることはなかったです。

 

むしろ母親の言うとおり頑張って続けようと思っていました。中学校での生活で私はバレー部に入りました。ところが1ヶ月もしないうちに、先輩や同級生との人間関係がうまくいかない自分に気付いたのです。

 

私の中に不安が芽生え、この現状をなんとか変えようと私なりにコミュニケーションをとろうと思うのですがうまくいきませんでした。

 

そのうち部活動がいやで学校に行くことに気が重くなっていったのです。この現状を変えようと思えば思うほど苦しくなっていきました。

 

そんなとき、母親が言った言葉、三年間続けることという言葉がより一層私を苦しめていきました。母親のことは大好きなので心配をかけたくないと思って言い出すことが中々できませんでした。

 

そんな現状がしばらく続いたある日、もうダメだ母親に話そう、うちあけようと一大決心をして勇気を振り絞って言いました。

 

「お母さん、私、部活の先輩や友達に馴染めないの。部活辞めてもいい?」(SOS

 

母は私にこう言いました。

 

「大丈夫よ!すぐに慣れるからそれまでの辛抱よ!」(受け流された

 

私が何日もかけてやっと言えた言葉の答えはこれでした。この時私から母親は遠い存在になったのです。

 

朝、起きることができない!学校へ行けない!

 

それから私は母親と話す回数が減っていきました。今思えば精神的なところからきていたのだと思います。朝起きれないほどの腹痛がおこったりしました。

 

はじめのうちは母親も心配してくれていたのですが、そのうちこのような現状が続いていくと甘えていないで学校へ行きなさいと怒るようになりました。

 

私の中では甘えているわけでも依存しているつもりもなく、学校へ行かなきゃいけないという気持ちがあったのでつらかったです。

 

「私だってみんなと同じように学校へ行きたい!でも行けないの!自分でもどうしていいかわからないの!」

 

直接母親には言えなかったけど、私の心の中の叫びはこのような感じでどうコントロールしてよいかわからなっかったです。

 

ただひとつ、わかっていることは両親を悲しませているということでした。

 

不登校になった私の家での過ごし方

 

不登校となった私は家で何してるわけでもなく、毎日部屋に閉じこもっていました。そんな姿を見て両親もつらかったと思います。

 

「早く学校へ行きなさい」

「いいかげん甘えてないでしっかりしなさい」

「毎日家で何してるのよ」

「だらだらしてるなら家の用事くらいやってよ」

 

このような言葉を投げかけてきました。

 

「私は好きでだらだらしているわけでもないし、甘えているつもりもない、学校へ行きたくなくて行かないわけでもない!前のように学校へ行きたい、けど行けないんだ!」

 

と叫んでいました。心の中で…。

 

腹痛や頭痛があって病気で寝込んでいるわけでもなく、部屋にとじこもって布団から起きれないでいたので、母親からしてみたらそんな私を見ることが辛かったと思います。

 

学校へ行くように説得されても行けなかったです。親を苦しめていることもわかっていました。そしてそんな現状にしてしまっているのが自分が原因であることもわかっていたので家の中でも私の居場所はありませんでした。

 

不登校、引きこもりになった私の居場所

 

ある日、こんな現状を変えるべく父親が学校へいけない子どもが集まるフリースペースに行くように提案してきました。

 

そこはいろんな年齢の学校に行けないでいる子どもを受け入れてくれる場所でした。そこに行って勉強をしたり作り物をしたりと自分のやりたいことを自由にやらせてくれる場所でした。

 

フリースペースの先生に言われる言葉は、私に元気や力をくれました。私はこのままの私で良いのだと教えてくれました。下の子たちと遊んでいると下の子どもたちと一緒に遊んでくれてありがとうや勉強して偉いねなどと言ってもらえました。

 

こんな何の役にも立たないような私でも必要としてくれる人がいるのだと自信にもつながりました。それまでは自己否定の自分でしかなかったので嬉しくてその居場所が大好きになっていきました。

 

不登校という問題を私が解決できた理由とは

 

それからしばらくフリースペースに通っているとある日、中学校のクラスメートの一人が学校へ来ない?と誘ってくれました。母親は無理しなくていいよ、無理に行く必要はないと言ってくれましたが、この時の私は勇気を出して行ってみようという気持ちが芽生えていました。

 

そしてここから不登校からの脱出ができたのです。解決できたのでした。

 

今思うと私の居場所となったフリースペースに行けたこと、そして何よりあの時母親が私に無理に学校へ行かなくてもいいんだよと言ってくれた言葉だったと思っています。

 

少し前の母親なら無理して学校へ行かなくていいとは言ってくれなかったでしょう。母親は誰よりも私を学校へ行かせたがっていたのですから・・・

 

それまでの母は毎日のように学校へ行くように私に言ってきました。でもフリースペースに行く楽しさ、つまりは私の居場所ができたころから母親も変わっていきました。

 

母親は最初私がフリースペースへ通うことに反対していました。そこに行って楽しいと私が思ったとき学校へはさらに遠ざかってしまうと思っていたようです。

 

しかし母親のそんな気持ちをなだめて、まず父親が私をその場所へと誘導したのです。後に聞いたのですが、母親の考え方が変わらない限り私の不登校は治らないとそこにいた先生方から言われたそうです。

 

その言葉にショックを受けた母親は、母自身も自分を変容させるべく懸命に私に寄り添うこと、私を理解しようと努めてくれました。

 

フリースペースは、無理をしない、ただただ楽しむ・・・そんなことを私たち親子が自然と感じられるようになっていった居場所であったと思います。

 

解決は、楽しむこと!笑顔でいること!そしてつまずいてもやり直しできるということ

 

中学生になって母親から言われた、『三年間部活を続けること』という言葉は当たり前で自然であると思います。

 

でも私にはそれが重荷となりました。母親を好きでしたし、母親に心配をかけたくなかったのです。なので、自分の心に蓋をしようとしました。自分で自分を追い込みました。母親に部活を辞めたいと言えなかったです。

 

その当時の私には母親に反発することもできなくて、自分の本当の気持ちを隠したままでした。もう少し強い心を持てていたら不登校にはならなかったと思います。

 

しかし、この不登校の体験を通してダメだったらやり直せばいい、何度でも挑戦すればいいということを勉強しました。不登校になったことは私の学びとなったのです。

 

これからは自信をもって生きていきます。失敗から得るものはあるのです。今、不登校で悩んでいる方に伝えたいです。

 

不登校の子どもたちへ

 

無理をしないで今を楽しんでください。不安をとってしまいましょう。その先にはきっと素敵な未来が待っています。

 

不登校の子どもを持つ親たちへ

 

時間を与えてあげてほしいです。批難することをやめて少し離れたところでそっと見守ってあげてほしいと思います。

 

そして私のような性格の子どもには、

 

「嫌だったらやめていいんだよ。自分にあったものを見つければいいんだよ。」

 

こんなふうに言ってあげたら良いと思います。