【子育て体験談】非行に走る子どもを持つ親の責任~更生への道のり
非行という我が子に起こった現実…これまでの更生への道のりは私にとりましては長きに渡るものでした。あの非行問題を繰り返した日々から8年という歳月が流れました。
3人兄弟の末っ子が起こす様々な非行問題に、今でも心配はあるものの、あの繰り返された非行の日々に比べると穏やかな日常を過ごすことができるようになりました。
子どもの大河(仮名)は今では漁師として漁船に乗り毎日沖へと出掛けて行きます。仲間の漁師さんは大河のおじいちゃんと呼べるほどの年齢差です。とても可愛がっていただいています。今朝も早くに海へと元気よく出掛けていきました。
結局のところ、親というものはいつまでも子どもに対して心配していく生き物なのでしょう。この世に生まれてきてくれた時は、本当に可愛らしい天使でした。その天使の生きて行く道筋を、良くも悪くも導いていく役目は親である者の責務であると思います。
どこかで歯車が噛み合わなくなったり、子どもとの関係性に溝ができてしまったり、人生とは思う通りにはいかないことだらけです。これでもかと、繰り返し起こす非行問題に痛めた心に追い打ちを掛けるがごとく更に次々と問題がのしかかってきます。
そのような繰り返し起こす非行と向き合ったとき、どうしたらこの子どもが起こす非行という苦しさから逃れられるのかと自分との闘いが始まることとなります。
この子どもが起こす非行問題という体験は、私が悩み苦しんだ心の葛藤を記したものです。母親目線で苦労に感じた体験談です。これを書くことによって当時の私が味わった心の傷をもう一度開くことになりますが、今、こうしている間にも同じ悩みで苦しんでいるお母さま方の心に、少しでも救いとなりお力となればと思います。
目次
非行の原因、見えない更生への歩み
大河は小学校の時からリトルリーグに所属し硬式野球をする活発な子どもでした。性格は明るく物怖じしないのですぐにお友達を作ることができる子どもです。大河が中学校に入学するタイミングで私は再婚をしました。異変が起きたのはそれから3カ月後の夏休みを目前に控えた頃でした。
突然野球を辞めると告げてきたのです。小学校低学年の頃から続けてきたので、私は何度も説得しました。しかし本人のどうしても嫌になった、やる気がない、やる意味もない、だから辞めるという意思は変わらず夏休み直前にクラブ活動を辞めました。
その頃から友達の様子が変わりはじめました。その頃は元気よく挨拶もするし、家にくることもあったので上級生の子が混ざっていることに気づきませんでした。いつも複数人が出入りしていました。
大河が通う中学校は3つの小学校が合わさる生徒数が多い中学校です。元々非行に走る少年たちも数多く存在していました。学校は生徒数が多く同じ小学校からのお友達でない限りどこの子か知ることは困難でしたし、子どものお友達をいちいち調べることもしませんでした。
リーダー的特質を持った大河は入学当初から上級生に目をつけられていたようで、入学当初より近づいてきていたのです。夏休みも終わり2学期になると問題は起こり始めました。ある日学校からの連絡で大河が授業に出ていないと言われました。
仕事を終えすぐに中学校へと向かい事情を聴くと、朝の会が終わると教室を出ていきそのまま帰りの会まで戻らず、それまで体育館の裏手に複数人で固まっているというのです。先生の話ではそこにたまってはタバコを吸っているという複数の生徒の中の一人であると聞かされました。
非行に走る子ども、愛情不足なのか…親としての苦悩
身体は成長しつつもまだまだ心は子どもであるこのアンバランスな成長過程で起きた非行問題…私は、今の中学校で抱えている問題に深く自分の子どもが関わっていることに強いショックを受け涙が止まることはありませんでした・・・。
スクールカウンセラーにお世話になったりして自分がどういう風にこの非行問題と向き合うべきなのか、どうしたら更生させることができるのか考えても答えを見出すこともできず闘っていました。
少し前の時代であれば、このような状況であれど先生が注意して収拾がつくこともあり得たかもしれません。(感覚が古いのでしょうか…)
私は親を呼ぶ前に何故先生方がこの非行問題解決のために子どもと向き合っていただけないのか、そのうえでもちろん家庭もお願いしますなのではないのかと思いました。
昔テレビドラマにあったような熱血先生など子どもに関心を寄せてくれる先生などいるはずもなく…子どもとの向き合い方に先生方は少し逃げ腰になっているかのように見えました。
今の時代は先生自身が身の振り方がわが身の保身に入っているため、深く注意をしてくれる先生はいるはずもなく、むしろ授業を邪魔されるくらいなら他の生徒に迷惑なのでいないでいてくれた方がいい、だけどほっておくわけにもいかないので、その辺りはご家庭でお願いしますね…そういう中学校からの意図が感じられました。
学校側として異質な生徒においては各ご家庭でしっかり頼みますね、と言わんばかりの対応で、同じ悩みを抱えた母親同士、連絡を取り合って励ましあうしかできませんでした。
私の求める教育とは、感謝をすること、反省をすること、素直な心を持つこと…理想かもしれませんがそのようであって欲しいという願いも込めています。現実に目の前に起きている問題を受け入れることが当時の私には苦しいものでした。
それから中学校からの連絡は途絶えることはなく日増しに非行問題はエスカレートしていきました。ほぼ毎日のように中学校からかかってくる携帯電話の着信履歴を見ると気分が落ち込み、恐怖となっていきました。
授業ボイコットだけでは済まなくなり、同級生へや先生への暴力も始まりました。当然ながら学校へ夫婦で出向き謝罪を繰り返しました。それが頻繁になってくると私は我が子であっても大河に対する憎しみのような感情を抱くようになり、向き合うことを避けるようになっていきました。
ありがたいことにこの頃、中学校側からの対応はすべて主人が昼間仕事中でもかかってくる学校からの連絡に、その都度職場を離れ学校へと通い詰めて対応してくれました。逃げた私の代わりに…
何度も人に迷惑をかけてはいけないと伝えても繰り返し問題を起こす、何度言い聞かせても伝わらない、反抗的な態度は変わらない。この頃になるともはや病気ではないか、病気であってほしいとまで私は考えるようになっていました。
病気であれば何か薬があるのではないかと…途方に暮れた私は大河を県立の専門病院へと連れていきました。心療内科の臨床心理…
病院での診断結果は怒りをコントロールすることができないけれど病気ではないということでした。怒りのエネルギーを制御できない…大河の心の闇にふつふつと沸く怒り、そしてコントロールできない…
気休めのような薬を処方して頂きしばらくは通いましたが、これといった対策もなく月日は流れました。
非行問題、恐れていたことが現実に…
大河は中学3年になると、当然支配していた上級生もいなくなりました。しかし相変わらず縁が切れることはありませんでした。不良少年というのは学校という枠からいなくなっても、外の世界ではだれからも相手にされない、つまり疎外感があるので、自分が優位に立てる、抑圧できる下級生のいる中学校へと執着します。
元々は上級生の言うことを聞かないとボコボコにされる、それが怖くて言いなりになる、支持されるままに動いてここまできてしまった要素もあったので、上級生のいなくなった学校での問題は次第に鎮静化していきました。
しかし、もう不良のレッテルを張られた大河たちは自分たちの行き場を失い、心の弱さを持ち合わせていたので疎外感を抱きながら中途半端に悪い子どもを続けていました。
大河はすぐに感情的に走りやすく、なりふり構わず時に怒りのエネルギーに任せ、何をするかわからない危険な要素を持っていたため、気の休まるときはありませんでした。そんな中、不安が的中した事件が起きたのです。
その日は夏休み真っ只中でした。いつもの悪い仲間たちと学校に忍び込み、部室にこもって複数人でいたところ先生に見つかって注意されました。先生は仲間の一人を捕まえて注意しているとそこに大河の怒りが爆発しました。
仲間と先生とのやり取りに感情を爆発させたのです。先生に向かっていった大河は先生に軽傷をおわせてしまいました。もみ合いになっていると学校から連絡を受けた時に私は決断をし学校へは行きませんでした。どうぞ警察に連絡してくださいとだけお伝えしました。
非行の課題、親としての決断
とうとう起こした非行問題を私は自ら学校に頼み警察署のお世話になる選択をしました。大河には伝わらない、何度も言ってきたけれど伝わらない、自分がしていることの罪の重さを知らなければならない、こうするしかない…断腸の思いでした…目を覚ましてほしい、更生してほしい、その思いしかありませんでした。私は自分の子どもを自ら警察に引き渡したのです。
警察での取り調べは本人はもちろん、未成年の親ということで私も行われました。起こしたことをひとつひとつ理解しなければなりません。本人が起こした非行問題の重大さを重く受け止めなければ問題は繰り返されるのです。
二度とこのようなことを起こしてほしくない、更生してほしいと願うばかりでした。しかし私の願いとは裏腹にこのようなことがそれからも起きていくのです。
非行…不良、暴力、怒り、非行の意味…その先に親が学んだこと
怒りのエネルギーの原因、それは私にあると感じています。大河は多分心の中で叫んでいました。「僕を見て!僕を愛して!僕だけをたくさん愛して!」と…
大河は甘えん坊でいつも私から離れない依存心の強い子供でした。上の子ども2人と比べてもその違いはハッキリしています。私が再婚したことにより精神的安定を欠いてしまった事が原因であるのではないかと思っています。
子どもって同じように育てても全く違います。その子の持つ性質によって似ても似つかぬ人生を歩みます。私が子育てで学んだことは、親が3人の子どもに対して同じように愛情を与えてたとしても、受け取り側の子どもが100で満足する子もいれば200もらっても足りないと思う子がいるということです。
つまり、同じように同じだけではダメなのです。欲しがっている愛情の数だけその子に与えないと満足のいく愛情をもらっていないと判断するのです。
こちら側が決めるのではなく向こう側、子どもが決めるのです。今回の長きに渡る私の体験で愛情は絶え間なく与え続ける、そこを子どもが感じていることが重要だと勉強しました。
子どもを愛さない母親などいません。しかし判断をくだすのは子どもです。子どもが感じていないと愛情は受け取っていないのと同じです。与えられていないと同じなのです。
更生への道のりは長きに渡るものでしたが、ようやくその先を見据える時間を徐々に持つことができるようになってきました。非行という言葉は非常にネガティブな言葉でこの言葉を使って良いものかと思いましたが「ありのまま」をお伝えしたいと思いました。
ある方のお言葉に「お母さんは太陽でいなければならない」とあります。どのような状況においてもどのようなことが起こっても、いつも明るく降り注ぐ太陽でいること。そうしていれば自ずと道は拓かれる…
頑張り続けるお母さんは大変なのでありのままのお母さんでいましょう。でもそのお母さんは太陽でいることです。
非行に走った子どもを持つ親が学び得たもの
どんなに、更生してほしいと願っても大河の道を私が変えることはできません。大河の道なのですから…少し遠回りして気づくのでしょう。
親子であっても人を自分の思う通りに変えるなんてできないのです。なのに変えようと変えなければと思うことに苦しみもがいていました。人は変えられない、変えられるのは自分だけ…
降り注ぐ太陽のように見守ることはできても、その道を進むのはその人本人。変えよう、気付かせようと思えば思うほど苦しむのです。「人は変えられない」その神髄を理解したとき少し心が楽になりました。
考え方、捉え方ひとつ、苦しみ、悩みは自分で作り出しているものにすぎません。ならば自分で消してしまえばいいのです。ストレスのない生き方を自分で選べば良いのです。
この度は私の体験を皆様と共有しましたが、是非ご自身の心のコントロールを図り、たった一度の人生ですから楽しむことにフォーカスして生きたいですね。お読みいただきありがとうございました。