【不登校体験談】娘の不登校の原因は母子分離不安 | 子どもを上機嫌にするテクニック

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【不登校体験談】娘の不登校の原因は母子分離不安

40代の会社員です。当時私は、20代後半で、私主人姑3人の娘を持つ6人家族でした。3人目の娘を出産時に妊娠中毒症にかかり母子ともに危険な状態でした。私の意識が戻ったのは娘を帝王切開で産んでから1週間後のことです。もちろん手術の記憶はありません。

 

3番目の子どもは生まれた時1560グラムしかなく本当に小さく生まれてしまいました。自分の体調が良くなってからは末娘にしばらくは掛かり切りとなり上の子どもたちは寂しい思いをさせたかもしれません。

 

当時長女は5歳でしたが私をサポートしてくれました。赤ちゃんにミルクをあげたり、オムツを替えてくれたり、着替えやおんぶまでもしてくれました。小さなお母さんといった具合で本当に可愛がっていました。

 

医療の力と家族の献身的な愛情に支えられ、3女は無事にすくすくと成長してくれました。2歳を迎える頃にはもう何も心配することもなく、家族は安心した生活を送れるようになっていました。そしてそんな矢先のことでした。長女は小学校2年生、夏休みを終え2学期がスタートするというタイミングでした。

 

登校拒否、張り詰めていた娘の心

 

突然泣いて学校に行くのが嫌だと言いはじめたのです。最初は夏休みを終えた直後だということで休み癖のようなものだと軽い気持ちでいました。とりあえず定められた登校班で通うことが困難でしたので学校まで子どもを連れて行きました。

 

学校へ着いても泣いて教室へと足が進みません。末の娘を抱っこしながら半ば強制的に子どもの手を引き教室へと連れて行きました。先生との話し合いでしばらく様子を見ていてほしいということで教室の隅で様子を見ているとすぐに異変が起こりました。みるみるうちに顔面蒼白になり身体は震えが起こり呼吸が荒くなりました。

 

突然のことでびっくりしてすぐに家に連れ帰りました。家につくと普通だったので精神的なことが原因であると確信しすぐに心療内科を探しました。しかしすぐの予約をとることが困難で結局診ていただくことができたのは、そこから1カ月後のことです。

 

それまでは私もどう対応して良いものかわからず、とりあえずは学校へ通わせることもできず家族と相談した結果、3女を保育園に一時的に預け、長女と向き合う時間を優先して作りました。そうしている間にも私の心はなぜ?どうして?自分はどうすればいいのか、何をすべきなのか、判断に迷い自分を責めることしかできませんでした。

 

何も手につかずひとりでいると涙が溢れてきます。自宅前をランドセルを背負った同じ年頃の子ども達が通る姿を見かけては泣いていました。このような心理状態の中で私は更なる追い打ちをかけられます。姑と主人から心ない言葉を浴びせられ私の心は拠り所までも奪われました。

 

「お前がそんなだから不登校になるんだ、お前が甘やかしてばかりいるからだ!お前の躾が悪いからだ!」

 

ここから12年後に私達は別れることになります。あの時の言葉は今でも頭から離れません。人の心は本当に奥の奥、誰にも傷つけられたくない、傷つけてほしくないところに傷を負わされると、もうどれだけ時間が経っても癒えることはないのだと思います。

 

私が求めていた理想の家族はこの時崩壊しました。ここからは主人、姑に怒られないように、怒らせないように心を持たないロボットのように生活を送るようになって行きました。

 

たったひとりで立ち向かわなければならない子どもの不登校の問題を、解決すべくカウンセリングを受け病院の先生、学校の先生を頼りに先生方のおっしゃるとおりに行動しました。

 

子どもの不登校、登校拒否の原因は母子分離不安

 

病院の先生によると、それまで子どもの心はしっかり者の良きお姉ちゃんでいること、そうしなくてはいけない、そうでなければならないという自分を作りあげてきた。3女のことが安心できる安定した生活環境になったことで張り詰めていた心が崩れ、お母さんを独占したい、お母さんとずっと一緒にいたいという思いと同時に離れていることが不安で精神の安定性を欠いているというものでした。

 

今は子どもとの時間を取り戻すこと、長女との時間を最優先にして不安を取り除いてあげることが必要であると教えられました。そして学校との話し合いを重ねた結果、学校に来ないことで完全な不登校になってしまわぬよう解決策としてお母さんと学校へ通い、学校生活をお母さんと過ごすということを提案して頂きました。

 

朝、娘とともに登校し、子どもと共に下校する。仲間のいる教室に入ることが困難であったので別の空いている教室を私達親子に提供して頂き、そこで私と子どもは本を読んだり、折り紙をしたり塗り絵をしたり2人だけの時間を過ごしました。

 

2人だけの教室…来る日も来る日も…この生活がいつまで続くかもわからない中、今やらなくてはならないのはこれだけだと娘との時間を何よりも優先して過ごしていました。そして1時間だけみんなと一緒に体育やってみる?とか声をお友達にかけてもらったりしながら少しずつ参加できそうな科目を無理なくやれる範囲で焦らずゆっくりとやっていきました。

 

新しい季節

 

2人だけの冬の教室はとても寒く先生が教室にストーブを用意してくれ助けられました。相変わらず毎日読書したりの繰り返しの日々を送っていました。冬が終わりを告げる頃には本当のクラスでの授業復帰の時間は増えていました。

 

そして少し暖かさが感じられるようになる頃には、私だけが1日教室で過ごし子どもは自分のクラスで授業を受けられるくらい回復していました。朝一緒に学校へ行き娘は自分のクラスに、私は1人帰りまで別教室で待つという最終段階まで来ていました。

 

この頃の私は、学年が変わるタイミングでうまく学校生活に戻れたらいいなという焦りのような感覚はありましたが、そこは子どもに悟られないようにゆっくりゆっくり離していきました。そしてその時は来ました。

 

復活までの最終段階

 

娘が小学校3年生に上がった時、次女は小学校1年生になりました。次女は登校班グループでピカピカのランドセルを背負い学校へと元気よく出掛けて行きます。このタイミングでと思いましたがやはり泣きました。やむを得ずまた私と学校へ行きました。ですがもう教室へは行きません。そのまま先生にお願いをして帰りました。

 

泣くこの状態は一週間続きました。が、一週間後、嘘のように泣かずに次女と家から出掛けるようになったのです。何が起きたのでしょうか…次女が1年生に上がったことで心強かったのかもしれません。

 

過去を振り返り

 

子どもと過ごした2人だけの教室は娘にとってどのような時間だったのでしょう…今は大人に成長して母となった娘に、私がこの体験を書くこと決めたとき聞いてみました。すると、もちろんそのような事があったのは記憶している、でも不思議とあの時の記憶と感情が全く抜け落ちている思い出せない、なのであの時のことを聞かれてもわからないという話でした。あの時の娘の心はきっと壊れてしまっていたのでしょう…

 

私が一緒に学校へ行くということにより不登校、登校拒否という問題点は一時的なもので避けることができました。そこは学校側からの大きな協力を得たことによるもので本当に感謝しています。

 

私の子育てにおいてはその後もいろいろとありましたが、この一件は辛く苦しいものでした。しかし、この経験をしたことにより子どもというものは大人に迷惑をかけてはいけないと無意識の制限を掛けているものなのだと知りました。

 

子どもの気持ちを十分汲み取ってあげられねかった自分への良い勉強をさせてもらった事柄であったと受け止めています。私の場合は不登校の一歩前で学校と病院の助けを借りて解決することができました。

 

この症状が出るのがもう少し遅かったらなら、また違う方法での試みが必要となったことでしょう…子どもが大きくなればなるほど心の奥の闇は深くなるようで、私の子供の場合はそのサインを早く出してくれたことにより解決までの時間もより速かったのかもしれません。

 

すべては学びだと受け止めたとき私は心が穏やかになりました。現実を受け止めなければならない苦悩であったり、どうして私の子どもが?と受け入れたくない苦悩であったり…親も子どもと共に成長していく生き物だと思います。

 

当事者の娘は今日も自分の子育てに奮闘していますが、きっと悩みは違えど母としての苦悩を経験していくことでしょう。