我が子が不登校になったのは私のせい…?そんな両親に伝えたい、”今”を愛することと未来の可能性
『不登校』
一昔前まで耳慣れないワードだったこの言葉も現社会では、誰でも一度は聞いたことのある身近なワードになりました。
「我が子が不登校になってしまいました。どうしよう。」
「学校に行きたくないといっていて困ります。」
親御さんたちからこんな悩みをきくこともそう珍しいことではありません。
ですが、私個人としてそんな親御さんたちにぜひ伝えたいことがあります。
今回はそんな想いを書いてみました。
目次
1.子どもが不になった現実を受け入れる。
大事な我が子が不登校になってしまったとき、真っ先に思うのは
「どうして我が子が?」
「うちの子に限ってそんな…(そんなことあるわけがない)。」
そういった思いをもつ親御さんたちは少なくありません。
不登校問題とはテレビや雑誌で取り上げられ起きている世界のことであって、まさか自分の子にふりかかる身近なことだとは微塵にも思わないものなのです。
ですが、それは通常であり当たり前のことだと思います。なぜなら、子どもの幸せを願わない親などいないからです。
我が子が毎日楽しく過ごすこと、それを心から願っているのです。学校へいって友達と過ごすことが子どもにとって幸せだと信じているのですから、不登校になんてなるはずがないと思ってしまうのは当然なのです。
そして、まずはその現実を受け止めてください。
「うちの子に限ってそんなはずはない。」
そのように否定しないでいただきたいのです。
そう思うお気持ちも十分わかりますが、まずは事実をしっかりと直視することが大切です。
まずは今の子どもの現状を否定せずに、正面から向き合うことが大切です。
しっかりと現実を受け止めましょう。
2.子どもが不登校になったことは誰のせいでもないということ
子どもの不登校の現実を受け入れると、今度は誰かのせいにしてしまいたくなります。
「自分の子育てがいけなかったのか?」
「学校になにか問題があったのではないか?」
そう思ってしまうことも多いでしょう。
ですが、はっきりいいます。
誰のせいでもありません。
もしかしたら、学校のせいかもしれません。
先生が合わなかったのかもしれません。
同級生とうまくいかなかったかもしれません。
両親のプレッシャーがあったのかもしれません。
子ども自身に問題があったのかもしれません。
ただ、その本当のことは誰にもわかりません。
そうかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
人の心というものは複雑です。数式のように「○○だから××である。」とはっきり明確なことなどありえないのです。
だからこそ、誰のせいというわけではないのです。
そして、一番は「その子自身のせいではない。」ということです。
不登校たちの子の多くは本当は学校へ”行きたい”といいます。
ですが、”行けない”のです。
”行きたいのに行けない”のです。
つまり、学校へ行かないということを本人たちは決して望んでいないのです。
だから不登校になったことをその子自身のせいにすることは絶対に間違っています。
我が子が不登校になったとき、つい誰か何かのせいにしたくなります。
子どもが不登校になってしまったという驚きや戸惑い、不安、悲しみ、あるいは怒りのような感情の矛先が必要だからです。
言葉にならない感情を処理するために、誰か何かのせいにしたくなるのです。
ですが、本当は誰のせいでもないのです。
「誰のせいでもない。」心からそう思ったとき、本当の意味で現実を受け入れることができるでしょう。
3.現実を受け止め、何かのせいにしない、そして現状を”愛する”ということ
そもそも”不登校”とはなにがいけないのでしょうか。
学校に行かないということはそれほどダメなことなのでしょうか。
学校とは社会のミニチュアです。いずれ大人になり社会にでるための予行練習の場です。
だから学校へ行かないと社会にでられない、そう思ってしまっているのではないのでしょうか。
ですが、そんなことはないのです。
今は働き方にもいろいろあります。朝起きて会社へ行って帰宅する、そんな方ばかりではないのです。
在宅で仕事をしている人もたくさんいます。コミュニケーションの手段も対話だけでなく、メールやLINEなどといったツールを使って十分に可能なのです。
働き方が大きく変貌した時代なのですから、学校への通い方だって多種多様になってもいいのではないのでしょうか。
会社へ行く、学校へ行く、そんな型にはめる必要があるのでしょうか。
オンラインでも授業が受けることができます。卒業資格もとれます。何か問題があるのでしょうか。
行きたくないのであれば無理に行く必要など、どこにもないのです。少しずつ少しずつできること、やりたいことをやっていけばいいのです。
つまり、そのままの現実を愛してください。大切にしてください。
無理に焦ってなにかをする必要はありません。
休みたいのならいくらでも休めばいいのです。行きたくなったら行けばいいのです。
なにも心配する必要などないのです。
”今”、”この状況”を受け入れ、そして愛してください。
4.動きたくなったら自ら掴みに行け、そして手に入れろ。
ずっと休んでいると、心が回復してきます。休んでいても心は成長していきます。
そうすると、今度はなにかしたくなります。
さなぎがいつか繭を飛び出し蝶になるように、なにか行動をしたくなるものです。
そうなったら、その時に掴みにいけばいいのです。
「洋画をみたら英語がしゃべれるようになりたいと思った。」それなら英語を勉強すればいいのです。
家にいても、誰と関わらなくてもオンラインで十分なレッスンを受けることができます。
「ネットをしてたらおもしろくて自分でも作ってみたいと思った。」それならつくればいいのです。
プログラミングを学ぶことも、WEBデザインを学ぶことも、パソコンひとつあれば家で十分できるのです。
自分が必要なものを好きなときに好きなだけできる時代なのです。
不登校だからなんだっていうのでしょう。この時代に何も問題などないのです。
たとえなにかひとつでも、自分がやりたいことをみつけたらそれを手に入れるためのハードルが低い時代となったのです。
だから何も心配する必要なんてないのです。
子どもたちには無限の可能性があるのです。
まとめ
いかがだったでしょうか。
現実を受け入れるということは口でいうほど簡単なことではなく、頭では理解していても心がついていかない、ということもあるでしょう。
ですが、否定するよりも肯定して受け入れてしまったらずっと楽になります。私自身、学校へ行きたくないという経験をしました。行きたくないときは行かない、行きたくなったら行くというような中途半端な学生でした。
ですが、今思ってみるとそれが正解だったのかなと思います。そのときを振り返りながら、また身近な方の話を聞きながら、私自身が感じたことを今回まとめさせてもらいました。
今学校へ行けていない子供たち、そしてその親御さんに心から伝えたいのは、”今のままでも大丈夫だよ”ということです。
学校へ行けてないことで不安になる必要なんてないのです。
それが少しでも伝わればいいなと思います。
明るい未来を心から願っています。